手を打ち足踏み踊り出せ

ジャニごとについて思うことを書くブログ

20周年に寄せて


こんにちはこんばんは。
自担迷子です。

ついに訪れたKinKi20周年。
外れたりいろいろありましたが、友人の好意により、運良く入れました。

さて、20周年。
私が見てきたKinKi Kidsとは、そんなことをポツリポツリ話しながら今回の件について私が見たものを話したい。

私が光一さんを好きになったのは、2002年秋。リモートを見てあのクールな氷室光三郎にホレました。

カッコよかった。
ともかくカッコよかった。
特に最終回で深田恭子さん演じる彩木くるみのピンチに駆け付けた彼は王子様に見えた。

そのクールでかっこいいイメージも見事にその後バラエティ等で叩き折られていくのだが、これはご愛敬。

その頃、ネット環境も十分になく、言うなれば本でしか情報をとれない私はひたすら足でKinKi関係の本を読み漁り、買い漁り、本当に足で情報を漁った(今は本当にネットがあって便利ですね)。

しかし、息が止まったのは、週刊誌の剛さんのバッシング記事が載ったのを見た時。

私は即座に「あの人がそういうことを言うわけではない、言ったのなら、それは何か追い詰められていたのだ」と思った。
その頃、剛さんはパニック症候群を告白し、コンサート上で踞ることもあった時期だ。
さらに、その頃、「タクシーで追いかけられなかったから、タクシーの窓を開けられて嬉しかった」とポツリと剛さんが雑誌に話してたことがあったので、厄介なファンが追い詰めたんじゃないのかな?と幼いながら思っていた*1

そんな中、光一さんは、ジャニーズWebの連載で「妙な曲解はやめたまえ」と言い放った。
そして、週刊誌を信用するな、と剛さんも言った。


私は彼らを信じた。
だって、心ない人は不仲だとかいろいろ言うけど、お互いが相方に向ける笑顔も愛情も信頼も、彼らがファンに向ける愛情も信頼も私は嘘ではない、と信じている。


そして、それは他の担当の子に対してもいまだに変わることはない。
もし、タレントがこちらを不信に思っていたとしても、私は、あなたを信じているよ、と思っている。
そうじゃないと、信頼関係なんて築けないと私は思う。

話がそれた。

それから、10周年、15周年と過ごして、担当もドンドン増えていき、私はお金の問題もあり、年末年始のドームとSHOCK、たまに入る光一ソロコンに通いながら、ついに20周年が来た。

次々と発表される仕事に心が踊った。
でも、一抹の不安がよぎった。


これ……いつもより仕事の量多くないか?


私は剛さんのパニック症候群は仕事の多忙さから来る過労のストレスも原因だと考えていたので、この多忙さを眺めながら、無事に終わればいいが……と思っていた。

そして、6月28日。
テレ東音楽祭。
私の住む地域はテレ東が映らない地域のため、TLを眺めていた。
すると、そこに並んだ言葉。

「剛が突発性難聴で入院」

頭打ち付けられた気分だった。
たぶん、この衝撃は別の自担だが、田口が脱退退所すると発表された時くらいの衝撃に匹敵すると思う。

突発性難聴
耳が聞こえなくなる。

私は必死に調べた。
医学書を眺め、インターネットで調べていた。

調べる限りは完治するようだ、とホッとした。


その後、光一さんはいろんな番組に一人で出演していった。
その中で私が息を飲んだのが二つある。

まずはMusic DayでのAnniversary。
光一さんは二番を歌った。

「君がいるだけで ありふれた日々が 鮮やかに彩られ 愛が満ちてゆくよ」

これを歌うことを彼はお風呂の中で考えたそうだ。
普通に考えたら、恥ずかしい。
しかもこの人のお風呂、私が知る限り光るお風呂だ(まあ、直結するのはラブh……ごほんごほん)。

でも、恥ずかしいけど、この人は大切な相方へ向けてこの歌を歌ったのだ。

笑いながら泣いた。
私は常々この人は不器用で言葉足らずだと思っている。
でも、伝えたいことは超速球のストレートでぶん投げるので、恐ろしい。

でも、そんなところが大好きなのだ。

自身にも相方アンチなオンリー担も多い中で、この人は相方に治して戻ってこい、と。


そして、その後、うたコン。
これも光一さんは一人で出演した。

その時に歌ったのは、

「もう君以外愛せない」

この番組はご覧になった人はわかるだろうが、正直、視聴年齢層的にも高いと私は感じるし、ハッキリ言うとアウェイな空気だ。

光一さんはかなり緊張していたが、司会の谷原さんが「剛さんも観てますかね?」と振った。

その時、顔が解れて、笑顔を見せ、

「どうですかねぇ~!?」

とおどけた。
本当に谷原さんにはありがたかったし、チョイスした歌も歌だ。

「君が一瞬でも いなくなると僕は不安になるのさ」

もうこの冒頭にすべてが詰まっていると思う。
私はまた泣いた。
しかし、この歌をチョイスした意味はわからぬまま、Party当日(私は15日参加だった)を迎える。

ディレイビューイングが中止になったりしたが、光一さんは楽しめ!と言った、だから、楽しもうと思った。

野外なんて初めてだったので、とりあえず雨が降った時の対策と熱中症対策もして向かった。

内容は私よりもレポに長けている人々に任せよう。
私は思ったことをここに書く。

まずは剛さんの状態。
突発性難聴の話を聞きながら、私はこう思った。


思った以上に重い。


だが、こうも思った。
でも、治る。
大丈夫だと。

そして、楽しかった。
ともかく楽しかった。

剛さんはそこにいない。
でも、楽しかった。
そこにいなくても、すぐそこにいるようだった。

KinKiの二人のいつものやり取り。
昔の映像を見ながら盛り上がったり、ゲストをいじり倒したり。

最初は二人の顔を見て泣いていたのに、笑っていた。

でも、最後の挨拶。

ただ、ただ、泣いた。

私はただただ、この二人に一生ついていこうと思った。

この二人に出逢わなければ、私のジャニヲタ人生は始まらなかったし、今いる多数の担当たちに会うことはなかっただろう。

そして、Anniversaryを歌った。
号泣して、嗚咽混じりのAnniversary。周りも泣いていた。

あの時の雰囲気は忘れない。
いろいろあった、20周年は一番の危機かもしれないことが降りかかった。
でも、それでも、この二人についてきてよかった。

終了後、退場の時、流れるBGMに合わせてみんなで歌っていた。

ともかく、楽しかったコンサートだった。

感想ばかりになって申し訳ない。
でも、これが、私が感じたKinKi Partyと20年だ。


最後に。
KinKi Kidsは私が好きになったものの中で一番長く続いたものだ。
きっとこの先もその先も好きでいるだろう。

ありがとうKinKi Kids

KinKi Kids forever

*1:事実はさまざまな要因があったと推測はされている。