みんなこの星のPrince
さて、ついに神宮寺くん二十歳を迎えました!
私が神宮寺くんを好きになったのはジャニーズJr.ランド初回です。
その時、もう勝利くんを好きになっていた友人が勝利くんを見せてくれた時にたまたま隣にいたのが神宮寺くんで、その神宮寺くんに一目惚れしたのがキッカケだったと思います。
そうなんです、私が神宮寺くんを好きになったのは勝利くんが間接的な関わりもあるのです。
それから、6年。
かわいいお顔でしっかり話す神宮寺くんは国民的彼氏と呼ばれるようになりました。
しかし、私の中では、神宮寺くんはいまだにかわいい神宮寺です。
神宮寺くんって、どんな子かと言われると、私が思うには、かわいくて繊細ながんばり屋さんだと思います。
まあ、スキルは正直、よく指摘される通り、すごいと言えるものはありません。
でも、私はこう思います。
誰だって最初は上手くなかった。
私の担当の一人、光一さんは初期のCDを聞いていただけたらおわかりになると思いますが、当時は歌唱力がすごく高い!とは言えなかったと思います。
実は、彼がある程度歌唱力が安定するのはデビューしてから5年以上はかかっていると思います。
そこに至るまでに彼自身努力を重ねてきていたと思います。
だからこそ、私はすぐに急成長をするアイドルもいれば、ゆっくり成長をするアイドルもいる。
なので、ゆっくり見守っていきたいなぁ、と思うのです。
そもそも、私から見ると、本当に昔に比べるとスキルは上がってるとは思います。
すぐに急成長をしない子も確実にゆっくり成長している。
その子の人生の一部分の成長を見つめるのがアイドルの醍醐味だと私は思うんですね。
さて、昨年、佐藤勝利くんと神宮寺勇太くんのブログ(佐藤勝利くんと神宮寺勇太くん - 手を打ち足踏み踊り出せ)を書いたとき、ツイの反応を見ると、ジャニーさんがこの運命的なものに気付いていたら、というツイを見かけました。
私が思うに、ではありますが、勝利くんと神宮寺君は、「一緒にならなかったKinKi」「KinKiのIfの形」だと思っています。
てめぇ、KinKiと一緒にすんな!という声が聞こえてきそうだな……と思いますが、いや、本当に同じ誕生日入所日って、誕生日が100日違いのKinKiと同じくらい運命的だと思うんですよ。
それに、勝利くんも神宮寺くんも根っこのところは真面目で考え込むようなところは似ていると思います。
そこが、似てなくても根っこは似ているKinKiに通じるものはあるな、と思うんですよね。
もし、一緒になっていたら、とは思うことはありますが、もちろん、今のSexy Zoneのメンバー以外には考えられません(そもそもそれを望むということは私はマリウス担の自分を否定することになるので絶対しません)。
さて、20代の神宮寺くんに望むことといったら、やはり、デビューはして欲しいなぁ、とは思います。
デビューして同じ立場で、勝利くんともう一度、並んで、歌って欲しい。
その時に歌うのは……KinKiさんがいいなぁ、と思います。
そのために、時には遠くから時には近くから応援は続けていきたいと思います。
長々とありがとうございました。
2017.9.24
やっと10年経つ。
もう10年経つ。
9月24日。
私にとっては一年の中で最も切ない日。
やっと最近、おめでとうと言えるようになった。
Hey!Say!JUMP結成発表日は、すなわち、Ya-Ya-yah解散日。
また改めて9月24日の横アリで起こったことのブログが回っていると聞く。
今年に入って、私のJUMP関係の出来事はジャニアイやぶひか事件。
さて、その経緯を薮がMyojo1万字インタビューで語ってくれた。
その中で、一番胸に響いたのはこの二つの言葉だ。
「(Ya-Ya-yahというグループは)きっと何かを揺さぶるグループだったから記憶してくれるんだなって。」
「Ya-Ya-yahというグループの一員だったことは、薮宏太という人間を形成する上で、欠かすことのできない要素なんだって、今は思うよ」
また、光も後輩のSixTONESやSnow ManがYa-Ya-yahの振り付けを覚えていたことをJUMPaperで語って喜んでいた。
光に関しては2017年10月発売のMyojoに10000字インタビューが載るので、また読んだ上で話したい。
現状として私が思うのは、グループという形はなくなったにしろ、彼らの中には、Ya-Ya-yahというものはあって、それは彼らの中で宝物になっているのだと思う。
それを嬉しく思うし、やっと、本当に消化できた気がする。
Ya-Ya-yahは好きだ。
いつまでも忘れない。
でも、それ以上にHey!Say!JUMPが大好きだ。
Hey!Say!JUMPは10周年を迎えて、いろいろなところで活躍している。
担当の伊野尾もバラエティを中心に活躍している。
アリーナツアーからの三大ドームも決まった。
年末の東京ドーム。
我等がエース、山田涼介が尊敬する先輩がずっと守って来た場所。
剛さんが年末に戻って来るのか、その不安があれど、私はまずはJUMPドームに行きたい。
アリーナツアーは外れているので、できることなら、JUMP10周年を祝いたい。
その時に、私は笑顔で言いたい。
「Hey!Say!JUMPデビュー10周年おめでとう」
と。
*1:Myojo2017年7月号より
20周年に寄せて
こんにちはこんばんは。
自担迷子です。
ついに訪れたKinKi20周年。
外れたりいろいろありましたが、友人の好意により、運良く入れました。
さて、20周年。
私が見てきたKinKi Kidsとは、そんなことをポツリポツリ話しながら今回の件について私が見たものを話したい。
私が光一さんを好きになったのは、2002年秋。リモートを見てあのクールな氷室光三郎にホレました。
カッコよかった。
ともかくカッコよかった。
特に最終回で深田恭子さん演じる彩木くるみのピンチに駆け付けた彼は王子様に見えた。
そのクールでかっこいいイメージも見事にその後バラエティ等で叩き折られていくのだが、これはご愛敬。
その頃、ネット環境も十分になく、言うなれば本でしか情報をとれない私はひたすら足でKinKi関係の本を読み漁り、買い漁り、本当に足で情報を漁った(今は本当にネットがあって便利ですね)。
しかし、息が止まったのは、週刊誌の剛さんのバッシング記事が載ったのを見た時。
私は即座に「あの人がそういうことを言うわけではない、言ったのなら、それは何か追い詰められていたのだ」と思った。
その頃、剛さんはパニック症候群を告白し、コンサート上で踞ることもあった時期だ。
さらに、その頃、「タクシーで追いかけられなかったから、タクシーの窓を開けられて嬉しかった」とポツリと剛さんが雑誌に話してたことがあったので、厄介なファンが追い詰めたんじゃないのかな?と幼いながら思っていた*1
そんな中、光一さんは、ジャニーズWebの連載で「妙な曲解はやめたまえ」と言い放った。
そして、週刊誌を信用するな、と剛さんも言った。
私は彼らを信じた。
だって、心ない人は不仲だとかいろいろ言うけど、お互いが相方に向ける笑顔も愛情も信頼も、彼らがファンに向ける愛情も信頼も私は嘘ではない、と信じている。
そして、それは他の担当の子に対してもいまだに変わることはない。
もし、タレントがこちらを不信に思っていたとしても、私は、あなたを信じているよ、と思っている。
そうじゃないと、信頼関係なんて築けないと私は思う。
話がそれた。
それから、10周年、15周年と過ごして、担当もドンドン増えていき、私はお金の問題もあり、年末年始のドームとSHOCK、たまに入る光一ソロコンに通いながら、ついに20周年が来た。
次々と発表される仕事に心が踊った。
でも、一抹の不安がよぎった。
これ……いつもより仕事の量多くないか?
私は剛さんのパニック症候群は仕事の多忙さから来る過労のストレスも原因だと考えていたので、この多忙さを眺めながら、無事に終わればいいが……と思っていた。
そして、6月28日。
テレ東音楽祭。
私の住む地域はテレ東が映らない地域のため、TLを眺めていた。
すると、そこに並んだ言葉。
「剛が突発性難聴で入院」
頭打ち付けられた気分だった。
たぶん、この衝撃は別の自担だが、田口が脱退退所すると発表された時くらいの衝撃に匹敵すると思う。
突発性難聴。
耳が聞こえなくなる。
私は必死に調べた。
医学書を眺め、インターネットで調べていた。
調べる限りは完治するようだ、とホッとした。
その後、光一さんはいろんな番組に一人で出演していった。
その中で私が息を飲んだのが二つある。
まずはMusic DayでのAnniversary。
光一さんは二番を歌った。
「君がいるだけで ありふれた日々が 鮮やかに彩られ 愛が満ちてゆくよ」
これを歌うことを彼はお風呂の中で考えたそうだ。
普通に考えたら、恥ずかしい。
しかもこの人のお風呂、私が知る限り光るお風呂だ(まあ、直結するのはラブh……ごほんごほん)。
でも、恥ずかしいけど、この人は大切な相方へ向けてこの歌を歌ったのだ。
笑いながら泣いた。
私は常々この人は不器用で言葉足らずだと思っている。
でも、伝えたいことは超速球のストレートでぶん投げるので、恐ろしい。
でも、そんなところが大好きなのだ。
自身にも相方アンチなオンリー担も多い中で、この人は相方に治して戻ってこい、と。
そして、その後、うたコン。
これも光一さんは一人で出演した。
その時に歌ったのは、
「もう君以外愛せない」
この番組はご覧になった人はわかるだろうが、正直、視聴年齢層的にも高いと私は感じるし、ハッキリ言うとアウェイな空気だ。
光一さんはかなり緊張していたが、司会の谷原さんが「剛さんも観てますかね?」と振った。
その時、顔が解れて、笑顔を見せ、
「どうですかねぇ~!?」
とおどけた。
本当に谷原さんにはありがたかったし、チョイスした歌も歌だ。
「君が一瞬でも いなくなると僕は不安になるのさ」
もうこの冒頭にすべてが詰まっていると思う。
私はまた泣いた。
しかし、この歌をチョイスした意味はわからぬまま、Party当日(私は15日参加だった)を迎える。
ディレイビューイングが中止になったりしたが、光一さんは楽しめ!と言った、だから、楽しもうと思った。
野外なんて初めてだったので、とりあえず雨が降った時の対策と熱中症対策もして向かった。
内容は私よりもレポに長けている人々に任せよう。
私は思ったことをここに書く。
まずは剛さんの状態。
突発性難聴の話を聞きながら、私はこう思った。
思った以上に重い。
だが、こうも思った。
でも、治る。
大丈夫だと。
そして、楽しかった。
ともかく楽しかった。
剛さんはそこにいない。
でも、楽しかった。
そこにいなくても、すぐそこにいるようだった。
KinKiの二人のいつものやり取り。
昔の映像を見ながら盛り上がったり、ゲストをいじり倒したり。
最初は二人の顔を見て泣いていたのに、笑っていた。
でも、最後の挨拶。
ただ、ただ、泣いた。
私はただただ、この二人に一生ついていこうと思った。
この二人に出逢わなければ、私のジャニヲタ人生は始まらなかったし、今いる多数の担当たちに会うことはなかっただろう。
そして、Anniversaryを歌った。
号泣して、嗚咽混じりのAnniversary。周りも泣いていた。
あの時の雰囲気は忘れない。
いろいろあった、20周年は一番の危機かもしれないことが降りかかった。
でも、それでも、この二人についてきてよかった。
終了後、退場の時、流れるBGMに合わせてみんなで歌っていた。
ともかく、楽しかったコンサートだった。
感想ばかりになって申し訳ない。
でも、これが、私が感じたKinKi Partyと20年だ。
最後に。
KinKi Kidsは私が好きになったものの中で一番長く続いたものだ。
きっとこの先もその先も好きでいるだろう。
ありがとうKinKi Kids。
*1:事実はさまざまな要因があったと推測はされている。
岩橋くんが苦手だった私が岩橋くんを認めるまでの話
こんにちは。神宮寺担です。神宮寺担から見た、岩橋くんの話を悩んでたんですが、書こうと思います。なので、岩橋担の方には耳が痛くなったり辛い話がいくつも出てきます。
また、Jr.大賞の結果を書いてますので、まだ結果を知らない方は注意!
私は、岩橋玄樹が嫌いでした。
神宮寺担はじぐいわが好きな方が多いと思いますが、私はじぐいわを含めて大嫌いでした。
ここに残すのは、セクファミ事変からの私が見て思ったことです。
私が神宮寺勇太を好きになったのは、ジャニーズJr.ランドという番組からです。*1
その頃は今のようなグループもなく、だいたい神宮寺くんは、岸優太くんや羽生田くん、嶺亜くん等とつるんでいたように思います。
あと、ジャパハイ時代から仲良かった勝利くんがいました。まぁ、その頃にはセクゾでしたけど。
勝利くんと神宮寺の話については、こちらで詳しく書いています。
→http://buki-j.hatenablog.com/entry/2016/10/31/100653
さて、ジュニランからセクゾが卒業したあおに、幽かな彼女というドラマがありました。そこに、神宮寺くんと岩橋くんが出演していました*2。
最初は何も思いませんでした。抜擢されたなーくらい。
神宮寺くんも同じくくりだからアクセをつけようと言ったりしてたのを、微笑ましく見ていただけだと思います。
ただ、次第にあれ?となってきました。何かが、ひっかかりました。
そして、とある雑誌を見て、愕然としました。
くわしくは書きませんが、雑誌の担当編集者が割と面白おかしく、針小棒大に彼の発言を脚色してたなーと感じています。
少なくとも、彼のイメージダウンになりかねない。そう思うような書き方でした。
その当時、ファンは「いわちは姫だから」と言われてました。
でも、姫だろうがなんだろうが、私は正直、眉を潜めていました。雑誌に影響されていた部分もありますが、私には岩橋くんの主体性が見えませんでした。誰かに依存しすぎ…特に、自担である神宮寺に…と感じていました。当時は。
岩橋嫌いです、と言うと大抵は「岩橋に嫉妬してるんでしょ」と言われました。
当時の私を振り返ると、確かにそうかもしれません。神宮寺担なので。でも、嫉妬なんかではなく、一番の理由は、自担のシンメには、こんな人がいいという理想が高かったからだと思います。
ともかく長いこと、セクゾデビュー前後から応援していて、自担にはお互いを支え合えるような人がシンメにいてくれたら、と願っていました。
でも、どうにも、当時の岩橋くんには、ん?となることが多かったんです。
そして、とどめになったのが、とある雑誌で彼が言った言葉です。
「神宮寺がいなくなったら辞める」
この一言でした。
私は、デビューせずに辞めた担当がいます。いまは、俳優として活躍していますが、Jr.としては周りがデビューするタイミングで、その活動をやめてしまいました。
だからこそ、腹が立った。
何でそんな簡単に辞めると言っちゃうの?
自担に、神宮寺に、あんたの人生なんて、そんな重荷を背負わせるの?
泣きました。悔しくて。
何でこんな情けないこと言うのか。なんで、そんなに自担に依存する人が自担のシンメなのか。
そんなに言うならその位置を他の子に渡してほしい。
勝手に、そんなことすら思ってしまいそうになっていました。
今思うに、その発言は、彼慣れの彼の不安の表れだったのかもしれません。
彼はどちらかというと「Jr.の真実」*3まではあまり注目されることの少ないJr.で、ジュニランでも初期のメンバーにはいません。
いきなり、しかもあのセクバの中では推されていた(と私は思います)、神宮寺のシンメというのはかなりのプレッシャーでいつ外されるかもわからず、拠り所が欲しかったのかな?と思います。
その頃から、彼を見る時、苦々しく思う自分がいました。
何をやるのも気に入らなかった。
でも、それでも、私は彼が気になっていた。
今、思うに、私は本当は彼に変わって欲しかったのだ、と思います。自担が大事にしている、自担のシンメとして安心したかったんです。きっと。
ただ、変わって欲しかった。
そして、月日は流れ、キンプリになって、彼に変化が起こったと感じました。
目の色が変わり出した、と思ったんです。
何がキッカケか何が原因かはわからない。ただ、明らかに何かが変わり始めた。
ダンスが変わり出し、弱音を吐かなくなってきた。依存が減った。わがままと思う発言も。
そして、SMAP解散報道の次の日。
彼はこう言いました。
「僕には感謝を伝えたい先輩がいます。それはこの場では言えません。でもその先輩のように笑顔を届けていきたいです」*4
私は泣きました。幽かな彼女も、その後も、彼の中に何かしら根付いているものはあったんだ、と感じました。
今まで彼のために流したのは悔し涙でした。でも、この涙は、彼が成長した喜びの涙だったのかもしれません。それが、私は嬉しかった。
岩橋くんに関して、今はどう思うかと言われたら、上から目線で恐縮ですが、彼は神宮寺くんのシンメとして認めています。
私から見た神宮寺くんの関係性って、勝利くんはライバルで、岸くんは親友だとしたら、岩橋くんは「戦友」だと私は思います。
あのセクファミというもある意味地獄の日々を、不器用な二人なりに、Jr.という立場の中で、自分たちの方法で駆け抜けたんだと思います。
私が全く向き合おうとしなかった二人を今一度考えると、あの時、神宮寺くんの近くにいたのは岩橋くんでした。
神宮寺くんは正直、あの時、私から見るとちょっとボロボロだったように思えます。
そんな彼を不器用ながらも一番近くで支えたのは岩橋くんだと思います。
紆余曲折しましたが、私は今の岩橋くんは最強にカッコいいと思っています。
彼に対する感情は言葉にするのは難しいのですが、好きでも嫌いでもない、かといって無関心でもない、情、というものなんでしょうか。
彼に対する想いを言葉に表すのは難しいのですが、彼が何かしても、まったくしょうがないなーがんばれ!という風に思ったりしています。
もし、いつか、神宮寺くんがデビューする日があるのなら、その時隣にいるのは、岸くんと、岩橋くんであって欲しい。
そんな想いを寄せながら、この話を終わります。
最後に。
岩橋くん、Jr.大賞四連覇おめでとうございます!!!!これからも主に自担がよろしくお願いします。
時を越える5stars達に想いを寄せて
2012年2月1日。
あの日、私は必死にイベントのレポを漁っていた。
ついに、デビューした。
私にとって彼らが初めてJr.の内から応援していてデビューしたグループ。
ここまでの道のりはこちらに書いてあるのでこちらを見てください。
A.B.C-Zデビュー決定日に寄せて - 手を打ち足踏み踊り出せ
DVDはポニキャに通販してたので、フラゲできるわけでもなく、届くのを待ちわびていた。
届いた時、必死に見た。Jr.とA.B.C-Zの姿!
その時にはもう神宮寺も好きになっていたので、「あー!空振って変なとこぶん殴ったー!河合くんごめーん!*1」となったり楽しかった。
そして、えび座凱旋広島公演。
あの時の公演の熱さも、はしこの楽しそうな顔も、ごっちの瞳の美しさも、ふみきゅんの笑顔も、塚ちゃんのなぜか知ってたアルパークも、スピーカーに向かって歌うとっつーも、ついでに、バックに急遽ついた文ちゃん(SHOCK初日おめでとうございます!)他ベテ勢も忘れない。
それから、楽しいこともあったり、憤ったりしたこともありますが、私はやっぱり、この人達が好きで。
自担は、後から実力者ばかりのA.B.C.に入って。
不安だらけなあの子を、お兄達はさまざまな葛藤を抱えながら、ずっと辛抱強く育ててくれたんだと思います。
私があの子を好きになる前から、ずっと。
本当にお兄達には心から感謝していますし、頭が上がりません。
ありがとう。
本当にありがとう。
そして、橋本くん。
おバカで、
浮き沈み激しくて、
気分屋で、
頑固で、
素直な、
優しい子。
不器用過ぎる子だと思います。
でも、そのすべてが私は愛しくてたまらない。
A.B.C-Z。
どこにだって追いかけて行きます。
昔、THE ALFEEさんが先輩の番組*2でこんな感じのことを言いました(正確ではありませんニュアンスです)。
「苦しいことはメンバーで分け合って3分の1、楽しいことはメンバーが集まったら3倍」
辛いことは5人で分け合って、5分の1、楽しいことは5人で集まって5倍になる。
そんなグループがこの先何年も何十年も続きますように。
五関晃一様。
戸塚祥太さん。
塚田僚一さん。
河合郁人さん。
橋本良亮くん。
いつも愛してくれてありがとう。
これからも、この先も、
ずっと。
A.B.C-Z デビュー五周年おめでとうございます!
Ya-Ya-yahに寄せて
かつて、私はこんなブログを亡霊の戯言として載せたことがある。
ある亡霊の戯言とJUMP9周年に宛てて - 手を打ち足踏み踊り出せ
私とYa-Ya-yahについては軽くここに書いてある。
2007年のYa-Ya-yahに何があったかは「横アリ Ya-Ya-yah」で調べたら何となくわかるだろう。
さて、2007年9月24日。
あの日、私はテレビの前にいて、太陽がいないことに
「太陽は!?」
と叫んでいた。
それから数ヶ月後、太陽は辞めていた。いないの何でだろう、と思って調べたら辞めていた。
それから、私はJUMPを密かに呪っていた。
呪い続けた後、橋本を好きになって、雪解けが始まった。
それから、太陽が戻ってきた。
そこで太陽の口から語られたことは、多くはないが、出演したラジオで、安室奈美恵の「Baby don't cry」を流して、太陽は、
「自分が前の事務所から今の事務所に変わるターニングポイントの時に、いろいろあったのでよくこれを聞いていた」
と話している。
ちなみに、この曲の歌詞はこうだ。
この曲の発売日は2007年1月24日。
ちなみに、この曲はフジテレビ系列のドラマ「秘密の花園」の主題歌でもあり、春先頃まで流れていた。
私はその話を聞いた時、もしかして、と思った。
太陽は、春頃には、やめるつもりだったのではないか、と。
私は泣き崩れた。
ああ、もう苦しまなくていいのだ、と思った。
そして、月日は流れ。
2017年1月19日。帝国劇場。
ジャニーズオールスターズアイランド昼の部にて。
ちなみに、私はその4日前の15日に観に行ってたりして、見たかったぁ!となったりしたのだが、そこは置いといて。
しかも、その日二人が着ていたのはJUMPのChikTaku衣装だった、と聞いた時には私は泣き崩れた。
この曲の歌詞は、前々から密かに歌詞がYa-Ya-yahとシンクロするな、と思いながら聞いていた曲だった。
歌詞はこちらになる。
ChikuTaku - Hey! Say! JUMP - 歌詞 : 歌ネット
「変わらないモノはないから ボクたちは歩き続ける」
「いつまでも忘れることはないさ 愛はもう ChikTaku 戻れず」
今あげたパートは、曲の出だしの部分だが、最初のパートは光で、次が薮のパート割になっている。
そして、最後に、
「そうさ ChikTaku 進むだけ」
と薮光でこの曲は締め括られる。
私はこの曲の歌詞にYa-Ya-yahをシンクロさせて泣いた。
もちろん、本来の曲はそんな曲の意味はまったくないだろうし、そもそもHey!Say!JUMPの曲だ。
もしこれに気分を害した人がいたら申し訳ない。
ただ一人の亡霊の妄言として、受け流していただけたら幸いである。
余談だが、この曲の収録されているCD発売後、Hey!Say!JUMPのカウントダウンにて、JUMPの現在の自担である伊野尾がこの曲の伴奏を弾いたと聞いて、新年早々涙を流すことになる。
話はよく逸れて申し訳ない。
JUMPデビュー10周年。Ya-Ya-yahにとっては解体して10年目だ。
ある意味節目の年。しかも、Ya-Ya-yahの自担の誕生日の次の日。
私が思うに、彼らはそろそろケリをつけたかったんだと思う。
Myojo2014年1月号の10000字インタビューで薮はHey!Say!JUMPとしてデビューすることを先に打診されたと話している。
彼は、悩んだ末にそれを引き受けた。
彼は、この10000字の記事でこうも話している。
「誰かがデビューするってことは、その何十倍の人間が落ち込んでるんですよね。(中略)選ばれたんだったら、その人たちの悔しさも背負わなきゃダメだって、Hey!Say!JUMPっていうグループになったんだったら、二人には申し訳ないし、僕自身も辛かった。それでも、やるからには、みんなの分までやんなきゃって思いましたね。」
ちなみに、光は話さなかった。
薮が語ったから自分が語る必要はないと判断したからなのだろうか、それはわからない。
そして、薮(光もだが)は、背負い続けた。
何と言おうとも、デビューを受けて、二人を置いていく。
裏切りと捉えられても仕方ない。
特に置いていく二人のファンからは特に責められるだろう。
それでも、
重すぎるその十字架を彼らは背負う覚悟を決めた。
私はかっこいいと思う。
多くの人から後ろ指をさされるのだ、それを引き受けた薮と光はやはりかっこいい。
でも、そろそろ下ろしてもいいんじゃないのか、と思う。
あの日、私は、
「いいんだよ、もういいんだよ」
と呟いた。
他の人は知らないが、私は、もういい。
太陽は、今別の場所で、自分の足で歩いている。
翔央もいろいろあったが、今も元気でやってるようだ。
だから、もう自分の今ある場所をと思うのだが、優しすぎる彼らはそれができないと思う。
長々と話したが、私は薮光に願うことは、幸せになって欲しいということです。
太陽と翔央も。
そして、私が好きになるより前に去っていった、赤間や星野も。
みんな幸せになって欲しい。
そんな願いを込めながら、このとりとめのない長ったらしい話を終えます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
Ya-Ya-yah FORVER!!
そして、
Happy Birthday KOTA YABU!!